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  • 日本キリスト改革派 田無教会

2021年12月5日「心騒ぐクリスマス」主日礼拝

  • 聖書箇所:ルカによる福音書1章39-56節

 

 クリスマス・イヴ、聖夜、しーんと静まりかえった静かな夜にふさわしいものです。

 対照的に、クリスマスの夜の登場人物たちがみんな忙しく動いています。星も博士も羊飼いも動いているではありませんか。ベツレヘムは宿屋に泊まる場所がないほどの雑踏の中にあります。

 それよりも9か月前に御子をみごもったマリアも落ち着けません。なまけたり、座り込んだりしていないのです。逆にクリスマスに無関係な人たちは、落ち着いています。

 その場面を想像たくましくして思い描いてみましょう。39節では「そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。」とあります。そうです。身重のマリアが急いで移動しています。そこはごつごつした岩肌の多い山地、そこを大急ぎで進みます。衣が裾にまといつくのを気にしなければなりません。気になりながらも、一人速足で南を指して毅然と進む若い村娘、それがマリアです。

 彼女はナザレの町からエルサレムから百数十キロ離れたエン・カレム(ぶどうの園)というしっとりとした静かな山間の、それこそ山里に向かいます。今日バスや車で全速力で飛ばしても、山あり谷ありで、上ったり下ったり曲がりくねった道を4時間以上かかるそうです。おそらくマリアはどんなに早くても5日から一週間はかかったと推測できます。しかもそれが身重の体でした。26節以下で、受胎告知がなされました。そこから、それほどの時は経過していません。妊娠初期は流産しないように、安静が必要な時なのです。

しかしマリアは落ち着いていません。急いでいます。24節に「エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた」とあります。エリサベトは人も知る年寄りです。高年齢出産、とくにその初産は危険です。引きこもって大事をとって無理を避けるのは当然です。マリアはそれを放っておけなかったのです。

これは愛です。愛は落ち着くことを許しません。落ち着かず、馴れ親しんだところに座り込んでしまう怠け者の愛、それは本物の愛ではありません。愛は、自己保存のための武装をしません。愛は傷つけることを恐れないのです。

56節「マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った」とあります。出産直前まで何くれとなく世話をしたに違いありません。産着を塗ったり、水を汲んだり、毎日、朝に夕にエリサベトのためにマリアは空の革袋を下げて坂をくだり、重い水を頭に乗せて丘を登ったと想像できます。

 

 エリサベトも心騒がせていました。子どもがないゆえの人々の冷たい視線に耐え、どうにもならない苦しみを引きずっていました。エリサベトの喜びは25節に歌われています。「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」この賛美から計り知れない喜びを推察できます。

落ち着かないことが愛の本質ならば、聖書の神は第一のお方です。詩編113編4-6節<主はすべての国を超えていまし、主の栄光は天を超えて輝く。わたしたちの神、主に並ぶものがあろうか。主は御座を高く置き、なお、低く下って天と地を御覧になる。>とあります。

この詩は、落ち着かない神の様相を歌い賛美しています。「低く下って」という動詞は、文語訳では「己を卑(ひく)くして」と訳されていました。この「低く下って」という動詞は、口語訳詩編147編6節では「悪しき者を地に投げ捨てられる」と訳されています。すべての国を超え、天を超えて高い高い至高のお方が、天の王座に君臨しておられる方が、その高みから己を投げ捨てて、低く下る、飛び降りる動きがここにあります。すさまじい動きがあります。愛はそのような動的なものです。愛は落ち着かないのです。結果を見ずに破れ果てることもあります。とにかく結果など計算しません。「愛は、自己保存や武装をしません。・・・愛は傷つけられることを全く恐れないのです。」

 「低く下って天と地を御覧になる」神は、ただ見るのではなく深く心の底に分け入って見入ってくださいます。神が目を留められるのは、「貧しい者」「乏しい者」「子を産まぬ女」です。「子を産まぬ女」とは、当時の状況から言うと「生きる意味のない」人たちという意味でさえあります。

 主なる神は、存在の耐え難い軽さに喘いでいる一人一人に共におられます。ヨハネ1:14「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父としての独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」という神の約束の言葉は、そのとおり神が肉をとって私たちの間に宿られました。

 ですから、聖書がクリスマスにどうしても伝えたいただ一つのことは、高く想像を絶する高いお方が、そこにどっしりと落ち着かないで、己を投げ捨てて低くくだり、天の独り子としての栄光を示されたことです。ここにクリスマスの示す愛の価値があります。

 堕落した世界の様そうは混沌としており、希望を見出しにくくしています。日本の新しい歩みのためにも、人々の歩みの上にも、そして何よりも愛する兄弟姉妹たちの歩みの上に、聞くべきことは何でしょうか。それはクリスマスの真理です。クリスマスに示された神の栄光です。その時、私たちは新しくなります。愛は落ち着かないからです。マリアと共に歌う人になれます。マグニフィカートを心から共に歌いしょう。「わたしの霊は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」

田無教会 中山仰引退教師

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