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  • 日本キリスト改革派 田無教会

2021年3月7日「ろばの子に乗る王」主日礼拝


  • 聖書箇所:新約聖書 ルカによる福音書 6章27-36節

  • メッセージ:中山仰牧師

 

 本日は、順番を入れ替えて、「聖餐の恵み」についてのお話を先にします。それは今日の個所と大きく関係しているからです。主イエスは弟子たちと最後の晩餐を行うために王としてエルサレムへ入られます。その時の食事が主の晩餐であり、後にそれを記念した主の聖餐となるからです。

 <この愛餐は、主イエスが死の前夜に弟子たちと共にとった最後の晩餐を指示していました。最後の晩餐の時に、主イエスは御自分の受けようとしている苦難[試練と死・復活・父の元へ帰る時が迫っていること]を知っていました。それで弟子たちに「最後にもう一度、あなたがたと過越を祝うことを心から望んでいた」とおっしゃいました。

 イエスさまが主の晩餐を制定したのは、弟子たちの過越の祭りを祝っているその最中でした。使徒パウロがコリントの信徒への手紙一5章7節で「キリストがわたしたちの過越の小羊として(すでに)屠られた」と書いているように、明らかに使徒時代の共同体はキリストの死と旧約の過越の祭りとにつながりがあると見ていました。イスラエルの民はエジプトで残酷な王ファラオの支配下で奴隷となっていました。その民の苦しみと嘆きを神は無視されず、モーセを指導者として脱出させます。その時ファラオに示した十の災いにも懲りないファラオに対して、十番目の災いは最悪のものでした。ファラオの長男を含め、全エジプト人の長男に死をもたらす災いであったからです。究極の悲惨とは、神の怒りにさらされることです。神の裁きを受け信じ、止める者は、小羊の血を家の戸口の鴨居とその周りに塗っておきました。その贖いこそ、主イエス・キリストの十字架で流された血に象徴されるような救出のしるしでした。それだけが神の怒りを免れる手段だったのです。

 その食事は、神がエジプトの地で行ってくださった救いを思い起こすためです。

 さて主イエスが弟子たちと最後の過越を祝ったとき、その祝いのただ中で、標準の儀式と違うことを行いました。パン種(酵母)を入れないパンを取って裂き、「これはあなたたちのたえに裂かれるわたしの体です」と述べてパンに新しい意義を添えたため、過ぎ越しの儀式に新しい意味が加えられました。そして食事が終わると、ぶどう酒の杯を取って「あなたがたが過越を祝う時、わたしはこれに新しい意味を与えます。このぶどう酒はわたしの血だからです。門柱にしるしをつけた旧約の子羊の血なのです。命の入り口にしるしをつけたわたしの血によって、あなたがたは神の怒りを逃れることができます。」となぞらえます。

要するに主イエスは「これから後ずっと、これはあなたがたの罪を赦すために流されるわたしの血です。これは新しい契約の血です。」と言われたのです。主イエスがまさにその夜に定めた新しい契約は、今までの古い契約を実現し、それを最も完全に、最も意味深く表現しているのです。>/<聖餐の恵み>

 神の救いである過越、その真意であるイエス・キリストをユダヤの民は拒否してしまうのですから、その責任は計り知れません。まず、その主の王としての凱旋を拒否するファリサイ派の人々は、「先生、お弟子たちを叱ってください。」と主を王として歓迎することを止めさせようとしました。それゆえに「もしこの人たちが黙れば、石が叫び出す」であろうという主の言葉を重く受け止めなければなりません。さらに、御子を死なしめたためにイスラエルは裁かれ、神が会ってくださる象徴であるエルサレム神殿は石の上に石が残されないほど崩壊してしまうのでした。「それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである」という言葉どおりの結果なのでした。

 このように聖書の中の神の証言以上に確かなものはなく、それ以上心を煩わせなくてよいものは世には存在しません。それが、主がここでおっしゃった「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」という意味なのです。

 そして当然主は王として神の言葉を語られます。そのお方は王として君臨するためにエルサレムへ入城されます。①人間がまだだれも使用したことのない子ろばを要求される神の聖者②その子ろばを求めるにあたり、主の命令通りであったという預言者③さらに「主がお入り用なのです」という一言でもって万物を主張できる王④「ろばの子に乗る」入城は、ゼカリヤ書9章9節の成就であり、同14章4節「その日、主は御足をもってエルサレムの東にあるオリーブ山の上に立たれる」との預言の成就でした。

 このように主イエスに言わせれば、「もしこの人たちが黙っても」「石が叫ぶ」ほど、主イエスのメシア性は隠しがたく公然の真理でした。それを無視して迫害するときに、実際にエルサレムの石が叫ぶという事態が起きました。彼らの恐れた敵であるローマ軍は、石の上に他の石が残らないほどの壊滅的な軍力をもって、首都エルサレムを滅ぼし尽くしたではありませんか。それはエルサレムが、神の平和・神の嗣業という名前をいただいているにもかかわらず、真の平和のことを知らなかったからです。神の都自体が「神の訪れの時を知らなかったから」というほかありません。

使徒ペトロは「また、異教徒の間で立派に生活をしなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります」(Ⅰペトロ2:12)と言っています。特別に何か派手なことをするのではなく、自分の賜物で、自分にできることをして主の証人として生きることではないでしょうか。

カルバンが「訪れの日とは、神が彼御自身へと私たちを招かれる時だ」と言っているのは正しいことです。それは御言葉を聞く今です。今礼拝の時と受け止めて間違いありません。

その目的を果たされるために主イエスご自身が、徹底的に低く仕えてくださったということを忘れてはなりません。神が人となられたこと、御誕生の時の馬小屋では飼い葉桶に寝かされ、公生涯の初めには罪人と同じ洗礼を受けてくださいました。その上、王としてエルサレムへ入城される時にも馬ではなくろばに乗り、それもろばの子に乗っての入城です。

それゆえ、私たち贖われた者は、主の死を告げ知らせる業をそれぞれの生き方の中で、証人としてできることをしていくことではないでしょうか。聖餐の言葉に「主がもう一度来られるまで、主の死を告げ知らせること」とあります。教会はその使命に生き、生かされています。


田無教会牧師 中山仰

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