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  • 日本キリスト改革派 田無教会

2021年7月4日「いのちを勝ち取れ」主日礼拝


  • 聖書箇所:新約聖書 ルカによる福音書21章5-19節

  • メッセージ:中山仰牧師

 ここに、まず「神殿の崩壊」が上げられていますが、ユダヤ人にとって神殿は神がそこにいてくださるという臨在の約束の場でしたから、その神殿が崩壊するということは自分たちがどこに頼って生きて行けばよいかというアイデンティティを無くされる状況になります。その他にも戦争とか暴動とかが起こり、大きな地震や飢饉や疫病、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れたりします。これらのことが世の中に起きて来るときに、多くの人々は世の終わりであると語ったり予想してきました。第一次世界大戦、第二次世界大戦の時、数年前の東北で起きた東日本大震災、特に今、世界的に蔓延しているコロナウイルス感染拡大においては、世の終わりの兆候ではないかと考えたくもなります。

 しかしイエスさまはこれらのことをすべてお見通しで、それらのことが起こったら、むしろ落ち着いて受け入れなさいと命じられます。なぜかというと、これらのことが起こる前に、信仰者は迫害され、会堂や牢に引き渡されることが生じるからです。そのような傾向がない限り、終わりの時ではありません。その迫害は「わたしの名のため」なのです。その機会を用いて証しする場としなさいと言われます。

 誰でもこのような恐ろしいことはごめん被りたいものです。それならば、それをどのように受け止め、考えたらよいのでしょうか。それを知るためには神の国との関連を知ることです。

 ルカ17章20節以下(p143)の「神の国が来る」ことが参考になります。ファリサイ派の人々が、神に国はいつ来るのかと尋ねた時、主イエスはこう答えられました。<神の国は、見える形では来ない。「ここにある」「あそこにある」と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」それから、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは人の子を一日だけでも見たいと望む日が来る。しかし、見ることはできないだろう。「見よ、あそこだ」「ここだ」と人々は言うだろうが出て行ってはならない。また、その人々の後と追いかけてもいけない。」・・・「人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。」>ということです。

 私たちは、イエスさまを目で見ることはできませんが、主を信じる私たちを通して主は現れるというのです。ですから天変地異や様々の迫害に対してただ恐れるのではなく、そこに主の御意志が明確にあるということを受け止めたいのです。事実、そのような緊急の折や大迫害の後に、主の平安と秩序が豊かに回復して多くの人々に救いがもたらされています。パウロや12使徒たちの迫害により、福音宣教は当時のヨーロッパ社会にもたらされ、そこからアジア・アフリカへと福音は増え広がって行っています。そこから各地においてもさらに救われた人々の迫害や苦しみの中で、それらを通して確実に福音が伝えられているのです。

 そのような混乱の中にあって、弱い私たちのために、すべてをご存知の方が必要なことを備えられています。ですから真剣に主の来臨、すなわち神の国を待ち望みながら生きる私たちにとっては、人生の取り組み方が違って来るということです。アブラハムやヤコブはじめ、士師の一人であるギデオンやペトロやパウロなども小さいものでしたが引き立てられています。

 これらの背後に信仰者の根本的、本質的なあり方が問われます。そこには私たちの信じる神が真の力と威光とを持っておられるという確信がなければ難しいでしょう。権威あるお方は、私たちに対して闇雲に従ってくるようにと命じてはおられません。21:15 どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。と、必要やふさわしい知恵を与えてくださるお方であるということです。

ただし21:16 あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。21:17 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。という物騒なことも言われています。髪の毛一本もなくならいというのに、どうして憎まれたり、迫害されたり、傷つきはては殺されることがあるのかという疑問が生じるかもしれません。

 主イエスのたとえ話の中に「だれを恐るべきか、教えよう。それは、殺した後で地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。五羽の雀がニアサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」(ルカ12:4-7)とあります。このように、この「髪の毛一本もなくならない」ということは霊的な表現で、「あなたたちの霊魂は必ず救われる」という意味です。

 このように、私たちの信仰とそれに伴う人生観・価値観が今朝問われて来ます。確かに親兄、弟、友人に裏切られる、時には殺されるということは辛いことです。その時、本当に自分のような者の死が、主の名のために用いられるということを覚えるなら感謝でしかありません。本当に価値のない罪深い私が選ばれ、救われた上に、私が用いられるということは無限の感謝でしかないことをこの齢になって少しずつ教えられています。

取るに足りない私たちの救いのために、主は来られ、罪の身代わりとしての十字架にかかってくださったという確かな根拠に望みを置けます。そのために、「人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。」と実行してくださったのです。

様々の弱さや、また環境の過酷さがある中で主がそれゆえ求められるのは、忍耐です。21:19 忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」という御命令です。何か華々しい何か大きなことをするのではなく、与えられた場所を環境の中で精いっぱい耐え忍んで、主の栄光を現わして行くことを主は求められます。決してしぼむことのない、永遠の命を勝ち取れという恵みと希望を限りなく与えてくださいます。主にある者は、この命を見据えて地上で主にある平安のうちに過ごすことができます。神の国は「ここにあるとかあそこにある」というのではなく、実に私たちの間にあるとは主イエスのお言葉です。この言葉を信じて喜んで従い続けたいと願っています。


田無教会牧師 中山仰

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