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  • 日本キリスト改革派 田無教会

2021年8月8日「平和への道―愛・尊敬・協力」主日礼拝


  • 聖書箇所:新約聖書 ローマの信徒への手紙12章9-21節

  • メッセージ:石丸新引退教師

 

足の裏からの天皇制教育

  •  厚底の立派なスニーカーを履いて投稿する小学生の姿を目にすると、戦中の貧弱な通学靴を思い起こす。ズック靴と呼んでいたが、薄いゴム底で布も破れやすかった。  戦況が悪化するにつれて、南方からのゴムの供給が途絶え、底がますます薄くなっていった。やがて底に穴があき、砂粒が入り込んだ。月に一度の全校神社参拝の度に、玉砂利が足の裏全体を刺激した。

  •  戦時下の天皇制教育は、体と心の全面に及ぶものであった。学校儀式で校長先生の奉読する教育勅語を直立不動で謙聴するだけでなく、全文を暗証することもした。驚くことに、暗写できる生徒もあった。墨をすること、筆の洗い方に至るまで細かい定めがあり、全ては行(ぎょう)だった。  「君が代」「海行かば」の斉唱を始めとして、軍歌・戦意高揚歌の数々を覚えさせられ、声を張り上げた。戦勝祝賀の更新では、日の丸の小旗やちょうちんを手にした。旧制中学に入学してからは、木銃にとどまらず、三八式(さんぱちしき)歩兵銃を握らされ、射撃の訓練まで受けた。

  •  思えば、頭だけでなく、手、指、足、足の裏、目、耳、口、首、腰、腹、胸など、人間の全器官、全機能を容赦なく動員するのが天皇制教育だった。  登下校時の奉安殿*への最敬礼、国民儀礼での宮城遥拝、軍事教練での分列行進、夜間行軍など、よくあれだけ徹底した強権的教育がなされたものと思う。学校は軍隊の予備校化していた。「頭(かしら)ー右っ」、「直れっ」の号令が今も耳に残っていると語る高齢者は少なくない。 *奉安殿=教育勅語謄本および天皇皇后両陛下の写真を収めた神社風小建築物。

  •  戦時下の学校教育では、自発と自主の入り込む余地は針の穴ほども無かった。全ては軍と政府による、天皇の名を振りかざしての強制であった。「畏れ多くも天皇陛下の御為に」をどれほど耳にしたことか。  ひるがえって、自発の喜びを深く思う。個人の内心の自由はさまざまな面に及ぶが、最も根源となるのは、いつの時代にも信仰の自由だと思う。この自由は、それぞれの宗教での礼拝行為で明らかな形をとって立ち現れる。  旧約の下での神の民イスラエルが、立法の朗読を聴いて神を礼拝したありさまが、ネヘミヤ記8章に生き生きと描き出されている。

  • 皆、一人の人のようになった。(1節)

  • 皆、耳を傾けた。(3節)

  • 皆、立ち上がった。(5節)

  • 皆、両手を上げて、「アーメン、アーメン」と唱和した。(6節)

  • 皆、ひざまづき、顔を地に伏せて、主を礼拝した。(6節)

 足と手、耳と口、体全体を総動員しての共同体の礼拝を、私たちも今、主キリストにあって許されている。とりわけ、賛美の占める位置は大きい。「イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう」(ヘブライ13:15)。  植民地支配下の朝鮮では、天皇崇拝に反するとして、特定の讃美歌を歌うことを朝鮮総督府が禁止した。たとえば「とわに世をしらす、イエス君にぞ、かむりをささげて、主をあがめよ」(現行『讃美歌』162番)。

 戦時下国家権力の宗教弾圧の暴挙を再び許してはならない。信教の自由を保障する憲法20条を死守しなければならない。政治の責任を担うものにこれを履行させなければならない。


石丸 新

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