聖書箇所:マルコによる福音書4章35-41節
「イエスがいれば怖いものなし」(マルコ4:35-41)
35その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。 36そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。 37激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。 38しかし、イエスは艫(とも)の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。 39イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。 40イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」 41弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。
誰しもに「怖いもの」があります。例えば、新型コロナ感染症。感染を完全に防ぐすべはなく、感染したら死に至る可能性もあるので、ある程度の恐怖を覚えざるを得ません。恐怖心への対処法として、聖書は「恐怖心そのものを、神様にお任せする」ということを教えています。
【詩編23:1-4】(聖書協会共同訳)
1[賛歌。ダビデの詩。] 主は私の羊飼い。私は乏しいことがない。
2主は私を緑の野に伏させ、憩いの汀(みぎわ)に伴われる。
3 主は私の魂を生き返らせ、御名にふさわしく、正しい道へと導かれる。
4 たとえ死の陰の谷を歩むとも、私は災いを恐れない。
あなたはわたしと共におられ、あなたの鞭と杖が私を慰める。
ダビデ王は、神様を羊飼いに、自らを羊にたとえ、羊飼いに養われる羊の平安を歌います。新型コロナは、私たちにとって「死の陰の谷」とも言えるような災いかもしれませんが、そのような災いから、神様が守ってくださいます。神様はこのような平安を与える方です。この詩は旧約聖書に収録され、イスラエルの民に親しまれました。
主イエス・キリストが神であられるのに人として生まれ地上で活動された頃、イエス様には弟子たちが付き従っていました。彼らも上記のダビデの歌に親しみ、神と共にいることの平安を教えられていましたが、彼らにも怖いものがありました。それは「嵐」と「夜の湖」です。
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ある夕方、イエス様が「向こう岸に渡ろう」とおっしゃったので、弟子たちは舟を漕ぎだしました。もう夕方になっていました。ガリラヤ湖は夜になると突風が吹きやすい湖です。元漁師であった弟子たちには警戒心があったと思われますが、それでも舟を漕ぎだしました。
やがて、「激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほど(37節)」になりました。弟子たちは何とか舟をかじ取りして態勢を立て直そうとしますがうまくいきません。そのような状況でイエス様が艫(とも)(かじ取りをする場所)で眠っておられるのを見て、弟子たちはつい苛立ってしまいます。師に対し声を荒げてしまうほど、彼らは恐怖心にとらわれてしまっていたのです。
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目覚めたイエスは風と湖とを「黙れ、静まれ」とお叱りになりました。すると、風はやみ、すっかり凪になりました。イエス様が自然に対して言葉で指示をされると、その通りになりました。
聖書によれば、神の力は自然を従わせるほどのものです。
【出エジプト記14:21-22】 21モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。 22イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。
神であるイエス様は、神としての力によって、嵐と湖を鎮めることができたのです。
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嵐と夜の湖を鎮めると、イエス様は「なぜ怖がるのか。まだ信じない(信頼して任せない)のか(40節)」とおっしゃいました。もし弟子たちがその恐怖を、自然をも従わせるようなお方に任せられたら、怖がる必要は全くなかったはずです。弟子たちはダビデの詩に親しみながらもなお、その通りにできないでいました。イエス様はそのことをご指摘になったのです。
旧新約聖書は一貫して、救いの約束を語ります。その救いは地上に来てくださった神であるイエス様が人と共にいてくださることによってもたらされます。人間には、天(世界の外側)におられる神様が見えませんから、イエス様と聖書とを通してしか神様のご存在を知り得ません。イエス様の弟子たちがもし、神様をいつも自分たちと共にいてくださる羊飼いだと信じて恐怖心をお任せできたならば、イライラせずに落ち着いて舟のかじ取りをすることができたでしょう。
イエス様のご指摘は、弟子たちにも、また2022年の私たちにも、恐怖心を神様にお任せできないでいる自分自身の「罪」を見つめさせます。それは神様の言葉を無視する「罪」です。
【マタイによる福音書28:20】 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。
イエス様は↑このように言っておられます。なのに、私たちはその言葉にきちんと信頼を置けていないのではないでしょうか。詩編23編は、神様の救いの約束への素直な信頼です。私たちもイエス様の言葉を信じて恐怖心をも素直に任せる必要があります。そうでなければ、恐怖心にとらわれて押しつぶされかねません。
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私たちが信頼し、恐怖心をお任せすべき相手は、聖書に示されている神様です。イエス様がいれば怖いものなしです。…こう聞いても、すぐには信じられないかもしれません。しかし、恐怖心をお任せすべき神様(イエス様)がいつも共にいてくださることを今日、聖書から知りました。聖書を信じる信仰は、神様が与えてくださいます。信仰が豊かに与えられるよう祈りましょう。
田無教会 伊藤 築志 定住伝道者
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