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  • 日本キリスト改革派 田無教会

2023年2月19日「祈りの共同体」主日礼拝

  • 聖書箇所:使徒言行録1章12-14節

 

先週・先々週の説教では、イエス様が神の国の宣教を使徒たちに引き継がれた時の事柄を学びました。引き継ぎにあたってイエス様は、使徒たちに「エルサレムを離れず、聖霊を待ちなさい(4節)」とお命じになりました。人間が神の国を正しく理解するためには、聖霊の御力を受ける必要があります。使徒たちは、聖霊を待ってから宣教に出るようにと命じられたのです。

引き継ぎにあたってイエス様は、ご自身の復活、昇天、再臨をお示しにもなりました。イエス様が宣べ伝えていた「神の国」とは、神様と人とが共に住み、人が神様のご支配による平和の中に生きることです。イエス様の復活、昇天、再臨は、神の国を具体的に表わします。使徒たちが神の国を宣教するための準備は、イエス様が使徒たちに復活、昇天、再臨をお示しになることでいよいよ整えられました。使徒たちは、今や最後のピースである聖霊を待つばかりです。

今日の礼拝では、最後のピースが埋まるまで、使徒たちがどのように過ごしたのかについて焦点を当てて学びます。その学びを通して、教会共同体のあるべき姿を探りたいと願います。

イエス様の昇天は一度きりのことなので、再現できず、科学の力では実証不可能です。昇天を知るためには、聖書の記述を信じるしかありません。使徒言行録の記者ルカは、読者が昇天を歴史的事実として信じられるように、可能な範囲で具体的なことを書きとめてくれています。ルカは、イエス様の昇天が「『オリーブ畑』と呼ばれる山」という具体的な場所での出来事であったと ―しかもその場所がエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離(約1km)のところにあるというメモを含めて― 示してくれています。

山から都に戻ると、使徒たちはすぐに「上の部屋」に上がりました。そこにいた人々のリストが13節と14節にあります。13節は使徒の名簿です。使徒といえば普通は「十二使徒」、12人ですが、イスカリオテのユダがイエス様を裏切ったまま復帰しなかったので、1人欠員で11人です。この11人がイエス様に従い通した優秀な使徒たちだったかといえば、そうではありません。たとえば、リーダー格のペトロは、自分の身に危険が迫ると、イエス様のことを「知らない」と言ってその場を切り抜けようとしました(ヨハネ18:25-27など)。6番目のトマスは、イエス様の復活を疑いました(ヨハネ20:24-25)。他の9人も、イエス様が捕らえられるまさにその時、イエス様を見捨てて逃げてしまいました(マルコ14:50)。11人の中の誰一人として、胸を張れる者はいません。しかし、イエス様はそんな使徒たちを再びお集めになったのです。ペトロは、イエス様を知らないと言ってしまった罪をイエス様に赦していただき、使徒として復帰しました(ヨハネ21:15、19)。トマスの疑いの罪も、イエス様に赦されました(ヨハネ20:27)。そのときトマスは「わたしの主、私の神よ(同28節)」と信仰をもって応答しました。

罪を犯した使徒が皆クビになったのではありません。使徒たちは復活のイエス様との交わりの中で、罪赦され、使徒として復帰したのです。13節の11人の名簿は、イエス様に罪を赦していただいた者たちの名を記した、イエス様の恵みを表現する名簿なのです。

また14節では、イエス様の兄弟たちが弟子たちの集団にいたことが分かります。彼らはかつてイエス様を救い主として信じない(ヨハネ7:5)反対者であり、イエス様と緊張関係にありました(マタイ12:47-50)。しかし、彼らもイエス様の復活の後、使徒たちと行動を共にするようになりました。頑固な兄弟たちも、神であるイエス様が復活後に地上で共に住む「神の国」を体験し、イエス様の弟子になったのです。14節にも、罪を赦す神様の恵みが示されています。

この「上の部屋」には、イエス様の弟子であるという以外にはほとんど接点のない120人(15節)がひしめき合っていました。しかも彼らは、かつてはイエス様を裏切り、疑い、イエス様と対立していた者たちです。この人たちを一つにまとめておられたのが、イエス・キリストです。

イエス様によって一つにされた弟子集団は、心を合わせて祈っていました(14節)。彼らが宣教に出るための準備はイエス様がすべて整えてくださったのであり、彼らは聖霊を待つだけでよかったのですが、彼らの中に聖霊をのんびり待った者はいませんでした。彼らは「心を合わせて熱心に祈りながら」聖霊を待ったのです。「祈る」ということは、神様が共にいてくださることへの応答です。イエス様の復活、昇天、再臨を知った弟子たちは、天におられるイエス様が、体は離れていても霊的には共にいてくださるという確信を抱いていました。だから彼らは、神様が共にいることを覚えながら祈る「祈り」に専念しながら聖霊を待ったのです。

教会共同体の原型が、ペンテコステ(聖霊降臨)の前に、既にこの「上の部屋」に形作られていました。「上の部屋」には既に、イエス様の赦しの恵みと、イエス様による一致とがあり、イエス様が霊的に共にいてくださることを覚えての熱心な祈りがあったのです。

家族を除き、教会は「イエス様に招かれて教会に来なければ知り合いになるチャンスがなかった」人たちによる、人間関係に依存しない共同体です。キリストによる一致がなければ、教会は教会になりません。しかも、一人一人は、イエス様に対して罪を犯した者たちです。にもかかわらず、イエス様が、私たちを一つにまとめてくださいました。イエス様ゆえに私たちは互いに結び合わされていますし、イエス様とも直接結びついています。なので、私たちはイエス様が一緒にいてくださる「神の国」を、今、おぼろげながらにも体験させていただいているのです。

教会が神の国を一番強く体験するのが、祈る時です。神の国への希望によって、120人は自発的に祈りをささげました。田無教会も、イエス様とつながっているゆえに、祈りにおいて神の国を体験することができます。私たちも心を一つにした熱心な祈りを通して、神の国をいつも体験させていただきながら、この地上での礼拝と宣教活動に向かってまいりましょう。

(牧師 伊藤築志)

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