top of page
検索
  • 日本キリスト改革派 田無教会

2023年6月4日「イエスの名が強くした」主日礼拝

  • 聖書箇所:使徒言行録3章11-16節

 

「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言われた、両足の不自由な男は、その言葉を信じて、足にぐっと力を込めてみたら、なんと足やくるぶしがしっかりして、立ち歩き、躍り上がることができました!(3:1-10) この奇跡は、教会を代表するペトロとヨハネからの、聖霊の賜物のお裾分けでした。教会には、聖霊を通して、イエス様が共におられます。

今日はその続きです。奇跡を目の当たりにした民衆は非常に驚きましたが、それは神様の御心を知らないことに由来する驚きでした。ペトロは、民衆も救いの喜びを受け取れるようにと、神様の御心を説き明かしました。私たちも御心を学び、救いの喜びを新たにしましょう。

驚いた民衆がペトロと、ヨハネと、足がいやされた男のところに集まって来ると、それを見たペトロは説教を始めました。ペトロは民衆に「イスラエルの人たち(=イスラエル(ヤコブ)の子孫であり、信仰を受け継いだ者たち)」と呼びかけます。「イスラエルの人たち」ならば、奇跡に過剰に驚くはずはありません。神様に奇跡を起こす御力があることを知っていますから。しかし「民衆は非常に驚いて」集まって来たのでした。ペトロの説教における一つ目の「なぜ」は、彼らが非常に驚いたことに対する「なぜ」です。二つ目の「なぜ」は、民衆が奇跡を起こされた神様をではなく、ペトロとヨハネを見つめていることに対する「なぜ」です。ペトロにもヨハネにも、奇跡を起こす「力や信心(宗教的態度)」はありません。力を持つのは、神様です。

続いてペトロは、神様の御心を、旧約聖書から説き明かします。彼は「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神」の名を挙げて、民衆の目を彼らから神様に向けさせようとしました。この名は、使徒言行録の時代から遡ること1500年前、エジプトで奴隷状態となっていたイスラエル民族を救うために、神様が預言者モーセに名乗られたときの表現です(出エジプト3:15)。のちに救われたイスラエルの民は、この“救いの神”への信仰を次代に継承させました。使徒言行録の時代、神殿で礼拝されていたのも同じ、生けるまことの神です。

1500年以上前から一貫してイスラエルの民と共におられた救いの神様は、その僕(しもべ)イエスに栄光をお与えになりました。イエス様は、イザヤ52:13に預言されていた、神様の僕である救い主であられます。本来であれば、イスラエルの民は、救ってくださった神様への応答として、イエス様を救い主としてあがめるべきでした。

しかし民衆が行ったことは、その逆です。13-15節は三つの対比でそのことを強調します。

第一の対比(13節):《神はイエスに栄光を与えた》⇔《民衆はイエスを引き渡し、拒んだ》。まことの神様を信じない異邦人ピラト(13節)の判断の方が、まだ「まし」でした。

第二の対比(14節):民衆は《聖なる正しい方(イエス様)を拒んだ》⇔《人殺し(バラバ)の釈放を要求した》。拒む対象・赦す対象があべこべになってしまっています。

第三の対比(15節):《民衆は命への導き手を殺した》⇔《神はこの方を死者の中から復活させた》。この対比からは、民衆が神様に背いたことへの強調と、神様の御力が民衆の勢いや死の力を覆すほど強いことを読み取ることができます。

ペトロたち教会は、神様によって立てられた、イエス様のご復活の証人です。イエス様のご復活は、民衆の過ちを浮き彫りにします。イエス様の復活の証人を立てられた神様の御心は、民衆がイエス様のご復活を知ることで悔い改めて救いにあずかるようになることにありました。

足の不自由な男が歩くようになった奇跡は、イエス様の御名によって生じました。この奇跡は、イエス様のご復活とご臨在を証しする奇跡でした。

男は、立ち上がらせられるとき、イエス様の名によって自分が立ち上がると信じました。言い換えれば彼は「キリストの御力を信じた」のであり、「復活のキリストが目の前におられることを信じた」のであり、「見えない領域の事柄を信じた」のです。すると彼は、民衆一同の前で、誰にでもわかるように、いやされました(健やかさを得ました)。強められ、健やかにされたのは彼の足だけでなく、彼のあらゆる点が強められ、完全に健やかになったのでした。男が健やかになるために信仰が必要だった(神人協力的)のではなく、イエス様が、男に与えた「イエスによる信仰」を用いて彼を強め、健やかにしたのです。

ペトロは、目の前の男について語ることで、イエス様のご復活をさらに証ししました。イエス様のご復活を証しする、ということは、復活されたイエス様が(見えないけれども)一同の前におられる、ということを証しすることでもあります。

イスラエル人だけでなく、地上のすべての人々にイエス様の復活が伝えられることが、神様の御心です。こんにちも全世界の教会が「あなたがた(礼拝者)一同の前に、キリストがおられます」と説き明かします。そして聖餐式(見る説教)において、イエス・キリストと共に食卓を囲みます。イエス様のご復活を信じなければ、「キリストはいつも共におられる」とは言えないし、キリストによる救いを理解できないし、聖書の教えが無意味となり、キリスト教が成立しません。

ですから、人間を愛して救う神様にとって、人間に救い主イエス様の復活と臨在を信じさせることはとても大切です。だからこそ神様は、イエス様のご復活を証しする証人をお立てになったのです。そして神様は、奇跡・説教・聖餐式ほか、様々な手段を教会にお与えになって、すべての人にイエス様のご復活を信じさせるためお整えになりました。神様の御業は、今も継続しています。今も教会にイエス様がおられるからです。イエス様は聖霊を通して、人に信仰を与え、その信仰を用いて、信じる者を強く健やかにしてくださっています。イエス様のご復活を信じる信仰生活は、イエス様の名によって強く健やかにされた、救い主イエス様からの恵みに溢れた、生活なのです。

(牧師 伊藤築志)

閲覧数:10回

留言


bottom of page