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  • 日本キリスト改革派 田無教会

2022年10月23日「隠れたことを見守る神」主日礼拝

  • 聖書箇所:マタイによる福音書6章1-4節

 

1「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。 2だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。 3施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。4あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」


上記の聖書の御言葉は、イエス様が人々にお教えになった、「施し(貧しい人にお金を渡すこと。寄付)」に関する教えです。当時「施し」には宗教的な意味があり、貧しい人に施しをすること自体が、天国におられる神様に喜ばれる善行であると見なされていました。なぜ、「施し」が善行のひとつに数えられているのかと言うと、「施し」には愛があるからです。天の神様は、人を愛し、憐れむお方です。「施し」は、天の神様の愛や憐れみに心を合わせることですから、天の神様に喜ばれます。そして同時に、施しは人々からの評価を高めるものでした。

私たちの社会でも、寄付にはその団体・人の評価を高める効果があります。企業が寄付をするメリットは三つあると思います。 ①純粋に、寄付先の団体・人が助けられること。 ②寄付を公表することによって、他の人もその寄付先に関心を持つこと。 ③寄付を公表することによって、その企業イメージが高められること。

しかしイエス様は、人からほめられようとして施しをするような人を「偽善者」と呼び、③の動機による寄付を戒められました。「偽善者」というのは、本心から善行をするのでなく、心の中では渋々、なのに行動だけは立派な人のことです。本心が別にあるのに、それを表に出さないでうまく立ち回る人を「あの人は役者だなあ」と言うことがありますが、それと同じようなことです。偽善者は、まるで心も立派であるかのように演技をします。しかし本心では、財布からお金が出て行くことを惜しみます。イエス様は、演技する偽善者たちは、施しの際には公共の場で、さもラッパを吹き鳴らすかのようにして人々の注目を集めようとしているのだと表現されました。彼らは目立たないところでは決して施しをしません。人に見てもらえなければ、財布からお金が出て行くだけで、彼らには何のメリットもないからです。

イエス様の教えは、施しの目的を、天の神様の愛に心を向けることから、自分の評判を高めることのために変えることへの警告です。自分の評価が高まることが目的であれば、人からの高評価を得ることで、施しの目的が達成されます。そのことをイエス様は「彼らは既に報い(ごほうび)を受けている」と表現されました。

イエス様は、「施しの目的を変えない」ことを徹底させるために、更にもう一歩進んで「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない(=細心の注意を払って、自分自身でもわからないほど隠れて施しを行え)」とお教えになりました。誰もその施しを知りません。誰もほめてくれません。イエス様は、「施しとは、誰かにほめられるためにするのではない」ということを教えておられるのです。もし、誰も知らない隠れたところでなされた施しならば、それは偽善者の施しとは違い、純粋な真心からの施し、気持ちよく財布から出された施しです。その施しは、人からの評価に全く縛られておらず、施す人の自由な思いからなされたものです。

しかし、誰も見ていない施しを、唯一見ておられる天の神様がおられます。イエス様はその方を「隠れたことを見ておられる父」、「あなたがたの天の父」と呼んでおられます。天の神様は、「イエス様から天の神様についての教えを聞いていた人々」のお父さんです。教会で聖書を通して神様についての教えを聞いている私たちのお父さんでもあられます。この「天のお父さん」は、上から子どもを監視しておられるお父さんなのではなく、子どもである私たちが憐れみの心を持って成長することを期待し、施し(憐れみの表出)を喜ばれるお父さんです。「隠れたことを見ておられる天のお父さん」は、私たちが自分の左手にすら隠していた施しをも見て、それを喜ばれます。そして、報い(ごほうび)をくださいます。天のお父さんから頂くごほうびは、「天の父のもとで頂く報い」です。それは地上で人々からもらえる地位や名誉やお金の形ではなく、いずれ死を迎えて、神様のおられる天国で頂くごほうびです。そのごほうびの価値は私たちにはよくわかりませんが、イエス様の口ぶりでは、地上で人からもらえるものよりはるかに素晴らしそうです。地上の誰からのごほうびも期待しないで、ただ神様の憐れみに心を合わせて施しをする人には、天国での素晴らしいごほうびが待ち受けています。

私たちの目に「神様」「天国」「天国でのごほうび」は見えませんから、その存在を信じるしかありません。どうか神様がいることを信じてください。天国でのご褒美を信じてください。聖書の言葉を信じてください。聖書を信じたマザー・テレサと呼ばれる修道女は、インドに渡り、貧しい人々に寄り添うことに人生をささげました。それはほめられるための活動ではなかったので、ノーベル賞という栄誉をもらっても、彼女の活動は終わりませんでした。神様を信じたテレサさんは、偽善者のように演技することなく、自分の人生を歩みきることができたのです。

私たちは神の子としての人生を、テレサさんとは違う生き方で歩みます。自分の人生を誰か他人と比べる必要はありません。私たち一人一人の心には、人には言えないどす黒い部分があるものですが、天のお父さんが、子どもである私たちを、善行ができるように変えてくださいます。隠れたことを見ておられる天のお父さんを信じるなら、あなたは、演技をしなければと思い悩むことから自由にされ、自分の人生を歩めます。なぜなら、素晴しいごほうびがあることを知るからです。あなたは無理して善行を積もうとする必要はありません。天のお父さんを信頼し、思い煩いから解放された人生に、あなたの本当の命があるのです。 (定住伝道者 伊藤築志)

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