検索
  • 日本キリスト改革派 田無教会

2022年5月1日「たとえ不誠実な動機でも…」主日礼拝

  • 聖書箇所:フィリピの信徒への手紙1章12-26節

 

戦時中の日本では、キリスト教に対する国家からの圧力がありました。当時は、キリスト教会がその圧力に流されて真理を大胆に主張できなかったという逆風の時代でした。教会は今も、社会の問題の悲惨さの前に無力であり、小さな逆風が吹いているかのようです。ときに、愛する福音宣教者パウロが投獄されたことは、当時の教会にとって大きな逆風の象徴として解釈されたのではないかと思われます。

しかしパウロは、「兄弟たち、わたしの身に起こったこと(投獄)が、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい(12節)」と言います。「福音の前進」とは、福音が宣べ伝えられた範囲が広がり、その前線が前に進んだということです。どのように福音が前進したのかというと、二つのことがあります。一つは、「パウロが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡った(13節)」という前進です。パウロが牢に入らなければ、その牢を管理する兵営や、その他の人々に福音が伝わることはありませんでした。パウロは投獄されても賛美を歌い、祈り、御言葉を説きましたから(参考:使徒言行録16章)、その振舞いによって、福音が「兵営全体やその他のすべての人々」にも知れ渡ったのでしょう。

もう一つは、「主に結ばれた兄弟姉妹たちの中で多くの者が、パウロの捕われているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになった(14節)」という前進です。パウロの投獄は、逆風ではなく、むしろ主イエスに結ばれた多くの人々を焚きつける風でした。逆風に見えることが、実は、福音を前進させる大きな要因となったのでした。

12節と14節には「兄弟たち」という言葉があります。親しみを込めた表現です。恐れることなくますます勇敢に福音を語るようになった兄弟たちの中には、2種類の人たちがいたようです(15節)。一方は「ねたみと争いの念にかられてする者」、他方は「善意でする者」です。「ねたみと争いの念にかられて御言葉を語る者たち」のことが気になります。彼らは「自分の利益を求めて、獄中のパウロをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせて(17節)」います。どうして福音を宣べ伝えるとパウロが苦しむのかについては複雑な事情が絡むのでしょうが、とにかく、パウロに対抗心を持って、獄中のパウロを苦しめるために御言葉を語る人たちがいたのです。それはサタンの思惑通り、獄中にいるパウロをさらに苦しめることになりました。

しかしパウロは、「だが、それがなんであろう(18節)」と言い放ちます。パウロは、とにかく、キリストが告げ知らされていることを喜ぶのです。彼は自分が苦しんでいても関係なく、キリストが正しく告げ知らされ、福音が前進しているならば、喜ぶのです。(偽福音が語られて福音が前進しないなら、話は別です。)パウロに言わせれば、パウロを苦しめるために御言葉を語る者たちでさえも、キリストを告げ知らせているがゆえに「兄弟たち」なのです。

パウロは、自らの投獄・苦しみにとどまらず、「生きるにも死ぬにも」福音が前進するならそれでよいという姿勢を示します(20節)。パウロは、たとえ彼が死ぬことになっても、パウロの存在によってキリストがあがめられることだけを切に願い、希望しています。もし彼が釈放されて命の危険がなくなっても、そのことでキリストがあがめられなくなるなら、それは福音宣教者パウロにとっての恥なのです。「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです(21節)」という言葉は衝撃的ですが、下線部が非常に重要です。彼にとって生きることがキリストなのであれば、生きることの終わり(死)もまたキリストと関係することです。ですから21節は「キリストとの関わりの中で死ぬなら、それは滅びではなくて、むしろ利益ですらある」という意味だと解釈できます。パウロは、キリスト者にとっての「死(23節:この世を去る)」は、地上での苦しみから解放されて、キリストと共にいることだという信仰を持っています。それはパウロにとって利益であり熱望していることです。地上で生きながらえれば福音宣教のための働きができますが、苦しみがあり、パウロにとっては不利益です。しかしだからといってパウロは死を選びません。その選択を神様にお委ねします。パウロは、地上で生きてフィリピの信徒たちと共にいることが神様によって必要とされていますので、おそらくそうすることになるでしょう。パウロは、生きるにしても死ぬにしても、どちらにしても、福音の前進のために役立ちたいのです。

パウロは、福音宣教のために万事が益となるように共に働く(ローマ8:28)ことを知っています。パウロが被る不利益も、福音の前進にとってはむしろ全部が益となるように、神様が仕組んでくださいます。仮にパウロの福音宣教を邪魔するサタンの策略であろうと、神様はそれをしなやかに用いて、福音の前進にとっての利益に変えてしまわれるのです。

パウロが自分の不利益さえも喜べるのは、神様に搾取されているからではありません。むしろ、「苦も苦じゃない、死も死じゃない」と思えるほど莫大な見返り「永遠の命」の約束を得ているからです。創造主なる神様との関係において、それ以上の利益はありません。

家族や友人を教会に誘う時や、教会で奉仕する時、神様にお仕えする思いよりも自分の利益を求める思いの方が強い瞬間があるかもしれません。それでも神様は、私たちを、福音を福音として宣べ伝え、また奉仕を続ける「パウロの兄弟」として用いてくださるお方です。私たちの不誠実な動機による行いをもしなやかに用いてくださる神様の御力に、すべてを委ねましょう。そして神様が、私たちには逆風に見えることや、私たちの不利益さえも福音の前進のためにお用いになることを今日の御言葉から覚えます。自分自身の不利益さえも、福音の前進ゆえに純粋に喜ぶことのできる信仰を、聖霊なる神様に求めましょう。


田無教会 定住伝道者 伊藤 築志

閲覧数:25回