聖書箇所:フィリピの信徒への手紙2章1-5節
1章の終わりの方でパウロは、「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」と勧めます。具体的には、キリスト者として地上で生きるにあたって降りかかってくる苦しみから逃げないでねという勧めです。人間は一人では弱いですから、地上でキリスト者として生きるためには、教会の仲間たちとの一致連帯が必要です。人間を神様から引き離したいサタンの攻撃を受けて、信仰を捨てたくなったり地上で生きることそのものがしんどくなったりすることがあるかもしれません。そのような苦しみの時は一人で抱えず、教会の仲間たちのところに来てください。仲間を集めてくださった神様を頼ってください。
○
パウロは1節で「あなたがたに幾らかでも、~~があるなら」という仮定文を用いますが、これは「あなたがたには幾らかでも、~~が既にあるでしょう」を意味する言い回しです。「キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり」は、教会にいる仲間たち相互の関わり合いのことです。その関わりの中では人は孤立しません。パウロは言葉を尽くしてこの関わり合いを強調します。そして同時にこれらは祝祷にも用いられる通り(参考 二コリ13:13)、神様からの祝福でもあります。そして「慈しみ(1:8「愛の心」。はらわたが揺さぶられると表現されるほどの強い感情)」や「憐れみの心(前者の同義語)」もまた神様から与えられる愛であり、同時に教会に集められた仲間たちが神様からの愛ゆえに身に着けるものです(コロサイ3:12「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい」)。神様に愛されて教会に招かれた私たちは、互いに憐れみの心を身に着けることができます。
○
パウロは、互いに魂のふれあいの関係にある仲間たちに「わたしの喜びを満たしてください」と願います(2節)。パウロの喜びは、キリストが告げ知らされているときに満たされます(1:18)。フィリピの信徒たちが地上で福音を告げ知らせるために必要なこととして、パウロは「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにすること」を提示します。パウロはここでも言葉を尽くして、心から連帯すること(参考1:27)を勧めているのです。それは「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送る(1:27)」ことと関連することです。フィリピの信徒たちが神様と関わりを持つ自覚を持つ、天の御国の市民として連帯することで、キリストが告げ知らされ、パウロの喜びが満たされる結果となります。
○
その連帯は具体的には「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払う(3-4節)」という形での連帯です。利己心は自分の利益を求めたり勝ちたいと思ったりする心です。虚栄心は神様を差し置いて自分に栄光があるように見せかけたい心です。人々が連帯する時、一般的にはリーダーを立てます。リーダーが教会のかしらであるキリストを差し置いて自分の力で教会をまとめようとするとき、教会の連帯は崩れます。いくら優れたリーダーでも、2人・3人いたりすると仲間割れが起こります。実際、フィリピ教会にもそのような仲間割れがあったようです(参考 4:2)。パウロは、何事もそういう思いからするのではなく、「へりくだって、相手を自分よりも優れた者と考える」ようにと勧めます。へりくだるとは自分の権利や名誉を手放すことです。卑屈になることではありません。相手を自分よりも優れた者と考えることは相手の長所を認め、自分の方が優れているという思い上がらないことです。これを互いに行うのですから、これも自己卑下ではなく、また優れた相手に全責任を押し付けることでもありません。
「他人のことにも注意を払う」ということは、自分でなく連帯する仲間に注目することです。文法上、「注意を払いなさい」は3節の「考えなさい」の修飾語ですから、互いに注意を払いあう時には、相手の優れた点に特に目を留めるのだということが意図されています。それが、教会に集められた仲間たちの一致の形なのです。
○
残念ながら、地上の教会ではこのような理想的な一致はみられません。表面上うまくいっているようでも、教会の交わりから心が離れていたり、礼拝に居心地の悪さを感じていたりする人が目立たない形で存在しています。教会の真の一致は、どのようにしたら達成できるでしょうか。パウロが提示するのは、強いリーダーでも、和気あいあいとした表面的な仲良しこよしでもありません。キリスト・イエスです(5節)。イエス様こそ、教会に連なる一人一人を一致させてまとめ上げるお方です。このお方のもとに集められたキリスト教会は、このお方に倣って、一つにまとめ上げられてゆきます。
○
一般的に「自分の権利や名誉を捨てて、相手を自分よりも優れた者と考える」ことは、平和をつくり出すための第一歩だと言われます。しかしその道筋を知っているだけでは、人間は真の世界平和をつくり出すことができません。教会には、不完全ながら幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、そして慈しみや憐れみの心が神様からの恵みとして備わっています。ですからイエス様を頭として、完全な一致を目指してゆくことができます。今はまだ完全な一致を持つことができずに苦しむこともありますが、その苦しみにもしっかりと耐えてイエス様に信頼し続けられるようにと信仰が与えられています。これからもこの信仰が与えられるようにと願います。教会を一致へと導くことができない私たち人間を尊重して愛してくださるイエス様のもとで、今週も希望を持って歩みましょう。
田無教会 定住伝道者 伊藤 築志
Comments