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  • 日本キリスト改革派 田無教会

2022年6月12日「唯一無二の同労者」主日礼拝

  • 聖書箇所:フィリピの信徒への手紙2章19~24節

 

主イエスを模範とした一致をフィリピの信徒たちに勧めていたパウロは、今、テモテという人物を彼らのところに遣わそうとしています。その理由については「わたしもあなたがたの様子を知って力づけられたい」からだと19節に記されています。つまり、テモテが遣わされることによって、まずフィリピの信徒たちがパウロの様子を知って力づけられます。そしてその後、テモテによってフィリピの信徒たちの様子が分かるので、パウロも力づけられるのです。したがって、フィリピの信徒たちにとってテモテは、(パウロからの監視の使者なのではなく)パウロの様子を知らせてくれる待ち遠しい人物であることがわかります。

さて、使徒パウロが使者として遣わす人物として、テモテほどの適任者はいませんでした。テモテはフィリピ教会の設立に携わった伝道者の一人であり、フィリピの信徒たちからもよく知られた人物です(1:1参照)。また、20節には「テモテのようにわたし(パウロ)と同じ思いを抱いて、親身になってあなたがた(フィリピの信徒たち)のことを心にかけている者は他にいない」とも記されています。というのは、パウロ自身がフィリピの信徒たちのことを親身になって心にかけていたのですが、それと同じくらいフィリピの信徒たちのことを心にかけているのは、他にテモテだけだったのです。パウロは、テモテ以外の人たちについては、「イエス・キリストのことではなく、自分のこと(利益)を追い求めている」という厳しい評価をしています。そのような厳しい表現でパウロが強調したいことは、他の人がどうかということよりも、テモテこそが最も、自分の利益ではなくてイエス・キリストに仕えることを追い求める人物だということです。テモテは、自分の利益と加田さんとか言うことを度外視して、ただイエス様にお仕えしたいという思いを持つ人物だったのです。その点で、彼こそがフィリピに遣わされるに最適な人物だったのです。

さらに、22節には「テモテが確かな人物であることはあなた方が認めるところである」とも記されています。テモテという人物については新約聖書のパウロ書簡でたびたび言及されていますが、その人物像は「まだ若く(一テモ4:12)」、「体が弱く(一テモ5:23)」、「心配性(一コリ16:10)」であったようです。人間的に見れば、一人で遣わされて来るには少し頼りない人物だったのかもしれません。しかしフィリピの人たちは、彼が「まるで息子が父に仕えるように、忠実に、そして愛をもって、パウロと共に福音宣教のために仕える」確かな人物であることを認めていました。パウロは、「息子が父に仕えるように、私に仕えてくれた」とは言いません。彼はテモテを「共に仕える者」と呼んだのです。人の目には、若いテモテがベテラン伝道者パウロに仕えているように(息子と父・あるいは部下と上司の関係に似た関係に)見えたかもしれません。しかし、本当のところは、テモテはパウロに仕えていたというよりも、「主に仕えることの一環としてパウロに仕えていた」のでありましょう。

テモテのそのような働きぶりを、フィリピの信徒たちは良く知っていました。「確かな人物」という言葉には、「試験をパスした」という意味もあります。フィリピの信徒たちは、テモテが忠実に主に仕える人物であることを、客観的な事実として認めていたわけです。そういう点で、フィリピに遣わされて来る使者として、テモテは最適な人物だったのです。

23節は19節の繰り返しですが、23節では「自分のことの見通しがつきしだいすぐ」という条件が加わっています。「自分のことの見通し」とは、裁判におけるパウロの処遇に関する見通しのことです。パウロは捕らえられて獄中にいましたから、釈放(あるいは極刑?)の見通しが立つまでは、テモテを派遣できないでいたのです。獄中で不自由な暮らしをしているパウロにとって、福音の前進のためにできることは、各地の教会のことを覚えて祈り、各地の教会に手紙を書くことくらいだったのだと思います。でもそのためにも、各地の様子を知らせてくれたり、手紙を届けてくれる同労者が必要です。テモテがまさにその役割を担っていました。もしも今すぐテモテを派遣すると、パウロの働きがストップしてしまうので、パウロはそうできないでいたのです。したがってパウロがテモテをすぐに送り出さないのは、パウロ自身の利益のためではなく、福音宣教のよりよい働きのためだったのです。テモテを送り出せるとすれば、判決がおりて、パウロが自由になるか、あるいは極刑となって今のような活動すらできなくなるかの見通しが経ってからということになります。

パウロは以上のことを念頭において、19節では「主イエスによって希望しています」と記しています。このことからパウロは、すぐにテモテを遣わすことを、イエス様との関係において・イエス様にお仕えすることにおいて希望しているのだということが分かります。

テモテをすぐに遣わしたいという願いは、同時に、パウロに関する判決がすぐにおりることを願うことでもあります。しかしパウロは、生きるにも死ぬにも全く中立に「早く判決が下って、死ぬなら死ぬで早くイエス様のために死にたい」と考えていたわけではありません。24節に「わたし自身も間もなくそちらに行けるものと、主によって確信しています」と記した通り、パウロは、早く判決が出ること、それも釈放の判決が出てすぐに自由に旅行できるようになることを、主との関係において確信しているのです。パウロには、主なる神様が、福音宣教のために最もよい判決を導いてくださるという信仰がありました。パウロにせよテモテにせよ、彼らが希望や確信を持ったり物事の優先順位をつけるときの基準は、ただただ、主イエスとの関係の中で、主イエスが命じておられる福音の進展に役立つかどうか、ということでした。

手紙を読んだフィリピの信徒たちには、どのような思いが湧いたでしょうか。あの親しい伝道者テモテを迎えるにあたって、パウロの勧めの通りに、福音の前進のために教会の一致を図りたいと願うのではないかと思います。それはパウロやテモテにいい顔をしたいとか取り繕いたいとかいうことではなくて、もっと単純に、また純粋に、キリストに仕える、神の御国の市民としての本来の喜びを回復したいという思いでありましょう。

徹底的に主イエス・キリストのことを追い求め、福音宣教の前進を喜んで仕える人々の姿を知る時、キリスト者は励まされます。私たちはきょう、テモテやパウロの人物像を通して、「教会は、ただ、ひたすら謙虚であられたイエス様に倣って、イエス様のご命令通りに福音に与っていることが大切なのだ」という真理に出会いました。私たちにはなかなか、パウロやテモテのような働きや生き方はできないかもしれません。しかし聖霊が私たちを、主の御心通りの行いをなすよう力を与え導かれます。私たちも御言葉通りに生きられることを主によって希望します。


田無教会 伊藤 築志 定住伝道者

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