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  • 日本キリスト改革派 田無教会

2023年3月26日「本当に、この人は神の子」主日礼拝

  • 聖書箇所:マルコによる福音書15章33-41説

 

十字架は、もともと、処刑の道具でしたが、今やキリスト教会やキリスト教を示すシンボルとして広く認知されています。イエス・キリストが吊るされた十字架に向き合った人々にとって、十字架が“キリストによる救い”のシンボルとなったからです。どうしてキリストの死が“救い”と結びつくのか、を知らせるのが、聖書の御言葉です。上掲の御言葉を読むことで、「イエス・キリストの死が人々を救うことになったのだ」ということを少しでもご理解いただければと願います。

聖書は、神様が人間に与えてくださった「神の御言葉」の書物です。神様は御言葉を、「人間が、神様と共に喜んで生きるため」に与えてくださいました。聖書には、そのために必要な事柄が記されているのです。聖書によれば、もともと人間は神様を賛美し喜ぶために創造されました。しかし、人間にはその目的から離れ、神様に背いて生きようとする性質があります。それが「罪」です。罪ある者は必ず死に至ります。しかしそれでは人間が全滅します。そこで神様は「罪を償う犠牲」という方法をもって、人間が再び神様を喜んで生きるための道を示されました。そのような罪の償いのシンボルとして旧約聖書に示されたのが、動物犠牲の儀式です。

イエス・キリストの教えはユダヤ教指導者らにとって疎ましかったため、彼らはイエスを死刑に処するため不当な裁判を誘導しました。イエスが十字架に吊るされて絶命した時、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けました。神殿の垂れ幕とは、動物犠牲を献げる神殿の聖域を守るものです。イエスの死の時、垂れ幕が破壊されることは、動物犠牲の儀式の終わりを意味しました。なぜ動物犠牲の儀式が終わったのかと言うと、イエスこそが、人の罪を完全に償う犠牲であられたからです。だからもう、人間は動物犠牲を献げる必要がなくなった、というのが、キリストの十字架の意味です。

死刑の実行役は、聖書への親しみが浅いローマ兵たちでした。彼らは十字架上で衰弱していくイエスを侮辱しもてあそびました。しかしながら、イエスが息を引きとられた時、十字架に相対していた百人隊長は、「本当に、この人は神の子だった」と、思わず言ってしまったのです。

聖書において神と人とは明確に異なる存在ですが、聖書への親しみが浅い人々は「神業」「神対応」という言葉を用いるなど、神と人を同列に扱う傾向があります。百人隊長の言葉も、もしかしたら「本当に、この人は特別な人だ」くらいの意味だったかも知れません。しかし、この特別視が大変重要です。イエスの十字架に相対する時、人は少なくともイエスを特別視します。

福音書記者マルコにとって、「神の子」とは、聖書に親しみ深いユダヤ文化の意味で「人間と全く区別される神様」の子、という意味になります。子であるということは、父である神とのコミュニケーションの中で、神の、神としての権威を受け継ぐ者であるということです。

しかしその神の子イエスが、神様との断絶の象徴である白昼の暗闇の中で、神様に見放されて十字架に吊るされています。こんな時にも「わが神」と呼びかけていることからも分かるとおり、イエスは最後まで、神様に対して罪を犯さなかった、唯一のお方です。死ぬべきはイエスでなく、罪人です。イエスは、自分には罪がないのに、罪人の代わりに死なれたのです。彼の死こそが、罪人の罪の身代わりとして献げられた動物犠牲に代わる究極的な犠牲です。

百人隊長はイエスが絶命の直前に発した叫びの言葉の意味を理解できなかったかもしれません。しかし、衰弱して死ぬ人は叫ぶ力も残りませんから、イエスの叫びは意図的であったと言えます。その叫びが百人隊長に届くと、百人隊長はイエスを特別なお方として見なすスタートラインに立ちました。イエスの十字架と相対し、イエスの苦しみと死に向き合うとき、人は特別なお方としてのイエスに出会います。

21世紀の私たちも、神の言葉である聖書をひもとき、罪のない神の子イエス・キリストが十字架に吊るされて叫ばれたその叫び声を間接的にでも聞くとき、残虐な死刑の道具だった十字架を、救いのシンボルとして見なすようになります。十字架を見るとき、キリストによって罪赦されたことを思い出すのです。聖書への親しみが浅い人でも、少なくとも、イエス・キリストが特別なお方であることを知るに至ります。あなたが今、御言葉を聞けているのは、イエス・キリストの死によって、あなたの罪が償われ、あなたが神様から罪人扱いされずに済んだからです。イエスは、あなたの代わりに死なれました。そのことを知ったあなたの人生や価値観は、今日から少しずつ変わっていくことでしょう。どうか、その変化を受け入れてください。そのことが、あなた自身が神様と共に喜んで人生を歩んで行くことのスタートラインです。

(牧師 伊藤築志)

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