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  • 日本キリスト改革派 田無教会

2023年6月18日「大胆な信仰」主日礼拝

  • 聖書箇所:使徒言行録4章1-12節

 

先週共に読んだ使徒ペトロの説教の後半(3:17-26)においては、悔い改めが強く勧められました。その説教の反響は4章4節にあるとおり、多くの人を悔い改めに導くものでした。

しかしながら、使徒ペトロの説教は誰をも悔い改めに導いたのではなく、中には説教を妨害する人々もいました。それが、「祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々(1節)」です。使徒たちは彼らによって逮捕されて裁判にかけられてしまいました。4章には、そのような苦難に直面してもなお信仰を失わなかった、使徒たち・教会の姿が証言されています。

ペトロたちを逮捕した「祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々」は、神殿を管理する当局者たちです。神殿警備を担当する「祭司たち、神殿守衛長」には、神殿の治安を乱すならず者を逮捕する職権が認められていました。治安を守る立場からは、使徒たちの説教によって集まった大人数の群衆を解散させたかったのでしょう。「サドカイ派の人々」は、「死者の復活」の教理を否定する(23:8)、祭司とイスラエルの長老たちからなる党派です。彼らは使徒たちが「イエス様に起こった死者の中からの復活を宣べ伝えている(2節)」のにいらだちを覚えました。そこで当局者らは、逮捕職権によってペトロとヨハネの二人を捕らえました。

しかしそのような妨害工作も、聖霊によって与えられた信仰の前には無力でした。「二人の語った言葉を聞いて信じた人たちは多かった(4節)」のです。指導者が逮捕されても、彼らは教会の仲間に加えられて一つとされ(2:47)、彼らの復活信仰はしおれませんでした。

その日は既に日暮れだったので、使徒たちを尋問をするための議会(最高法院)は翌日召集されました。召集された「議員(祭司たち)、長老」は多くがサドカイ派、「律法学者」は多くが復活を信じるファリサイ派です。最高法院は多数決のための機関ではなく、聖書の正しい解釈を見出すための議論の場でしたので、律法学者たちもメンバーに加わっていたのです。

しかし、当時の最高法院は腐敗しており、議長である大祭司一族が牛耳っていました(6節)。このような状況では、議論が健全に行われたとは考えにくいです。

さて、議会の真ん中に立たされた使徒たちを、大祭司たちは尋問しました。7節の質問は、使徒たちの逮捕容疑とは違うことを聞いています。逮捕容疑である「民衆に教え、死者の中からの復活を宣べ伝えた」ことについて尋問しても、復活の教理を信じるファリサイ派から有罪の意見を得ることは難しいでしょう。そのため、大祭司は意図的に質問を変えたのです。大祭司は「何の権威によって、だれの名によって」という質問によって、“ナザレのイエス”という回答を使徒たちの口から引き出そうとしました。なぜならその回答をもって「彼らは神殿においてふさわしくない名でああいうこと(=癒しの奇蹟)を行った」として、有罪判決に導けるからです。

このように、最高法院での尋問は、いらだちの原因である使徒たちをどうにかして罰しようという動機によって歪められたものでした。神殿において何がふさわしいか聖書の真理から探究しよう、という姿勢から逸れた質問だったのです。

ペトロは聖霊に満たされて弁明を始めます(8節~)。彼は、病人に対するいやしが「善い行い」であると確認した上で、尋問に対しては「ナザレの人イエス・キリストの名によるもの」だとはっきり答えました。イエス様は最高法院にとって「神を冒涜する者」であり、最高法院が数か月前に十字架での死に至らせた人物です。その真ん中でイエス様の名を出すことは、危険を伴うことでした。実に祭司長らは、この名が使徒たちの口から出てくるのを待っていたのです。

しかしながら、このペトロの弁明に、イエス様の名前を伏せて身を守ろうという姿勢は微塵もありません。イエス様がかつて教えておられたように(ルカ12:11-12、21:14-15)、ペトロは、聖霊に満たされて、聖霊が語らせるままに、はっきりと、イエス様の名前を出したのです。

ただし、イエス様の名が神殿にふさわしくないと断ずるのは適切ではありません。この方は神様が死者の中から復活させられた方(10節)であり、祭司長たちが拒んで捨てたが、神様が救いの完成に不可欠な「隅の親石」とされた方(11節)なのです。だから、「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていない」(12節)とペトロは言い切れるのです。この名の他に、神殿でいやしのしるしを行うのにふさわしい名は無いのです。

このように、聖霊に満たされたペトロの弁明は、聖書の言葉に基づいた大胆な弁明でした。イエス様が「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない」(ルカ12:4)とお教えになったように、当局者も最高法院も、せいぜい、説教を妨害したり、死刑判決を下すことくらいしかできません。人々から信仰を奪ったり、復活の教理を闇に葬ることはできません。聖霊に満たされたパウロは、当局者たち・最高法院を恐れず、大胆に、弁明できました。

2023年。今でも世界中にキリスト教迫害があります。国家によるの迫害から、家族・親族からの攻撃まで…。キリスト教信仰を守ることで危険にさらされる人もいます。しかし攻撃者・迫害者を恐れずに、イエス様への礼拝を大胆に続けるキリスト者らがいます。私たちは、そこに、聖霊に満たされたペトロと同じ大胆さを見ます。

今まさに、周囲からの攻撃に悩みながら信仰生活を送っておられる方は、攻撃者を恐れずに大胆に信仰を保たせる聖霊が、今もあなたに注がれていることを覚えてください。

そうでない方も、権力の暴走によってこれから迫害を受けるリスクはあり、他人事ではありません。聖書に基づいて大胆に、世界中のキリスト教迫害にNoを訴えましょう。なぜなら人間の力に屈して苦難を逃れたとしても、そこには本当の救いがないからです。

(牧師 伊藤築志)

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