2025年5月4日「イエスを王と頂く」主日礼拝
- 日本キリスト改革派 田無教会
- 4月27日
- 読了時間: 5分
更新日:5月17日
聖書箇所:使徒言行録17章1-9節
パウロの(第二次)宣教旅行の続き。マケドニア州・フィリピを出発したのち、一行は大都市テサロニケに到着し、この町を次の宣教拠点としました。そこには「ユダヤ人の会堂があった」(1節)ので、パウロたちの第一の宣教ターゲットである旧約聖書に慣れ親しんだユダヤ人や、敬虔な信仰生活に憧れる敬神家たちがたくさんいると見込まれたからです。
そういうわけで、テサロニケでの宣教活動が始まりました。この町では、どのような宣教活動が展開され、どんな神様の恵みが見られたのでしょうか。
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パウロの宣教活動はいつも、ユダヤ人の集会に入って行っての説教(=旧約聖書を紐解きながら、聖書が預言するメシアはナザレのイエスだと説明し、論証すること)から始まりました。テサロニケでも同じようにしました。それで、3回の安息日にわたってユダヤ人の会堂で説教を聞いた人たちがイエス様を信じてキリスト教に改宗するわけですが、その構成は、「少数のユダヤ人」と「多くの敬神家ギリシア人」と「かなりの数の上流階級婦人」でした。ユダヤ人の会堂全体が、ではなく、客員たちだけが、ごっそりキリスト教に移って行ったということです。
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面白くないのは、パウロの説教に納得しなかったユダヤ人たちです。なぜなら、彼らの敬虔な信仰生活に憧れていた客員たちをごっそりキリスト教に持っていかれてしまったからです。それで彼らは嫉妬に駆られて、ならず者たちを抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させるという事件を起こしました(5節)。さらに彼らは(おそらくキリスト教会の拠点・パウロ一行の滞在先となっていた)ヤソンの家を襲い、パウロ一行(パウロとシラス)を民衆の前に引き出そうとして捜しました。しかし一行が見つかりません。きっとどこか別の安全な場所に匿(かくま)われたのでしょう。
ユダヤ人たちは代わりに、ヤソンと数人のキリスト者を町の当局者たちのところへ引き立てて行き、パウロたちのことで、次のように叫んで訴えました。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。…彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています」(6-7節)。
彼らの訴えには誇張があります。しかし確かにパウロは会堂で「イエスという王がいる」と教えていました。パウロの説教の要約は3節にあるとおりですが、その前者「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」は、イエス様ご自身が聖書を紐解きながら弟子たちにお教えになったことでもあります(参考ルカ24:25-27)。パウロもイエス様の教え方に倣って、「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」旨を教えた後、旧約聖書を開いてそのことを説明し、論証しました。
パウロが具体的にどんな言葉で教えたのかは、パウロの説教を詳しく記した別の箇所(13:26-41)が参考になります。その説教にて、パウロはメシアについて歌われた歌として詩編第2編を引用しています。この歌は元々は王の任職に関する歌と理解されていましたので、総合すると、「(A)メシアは神様によって任命された王である」ということになります。
パウロの説教の要約の後者「このメシアはわたしが伝えているイエスである」。旧約預言の通りに苦しみを受けて復活なさったイエス様について、パウロは「(B)このイエスこそ、メシアである」と宣言したのです。上記(A)と(B)をつなぎ合わせると、「イエスこそ、王である」ということになります。ユダヤ人たちは、パウロの教えを切り取って、「彼らは、皇帝以外の王を宣伝し、帝国の転覆を謀る危険な奴らだ」と誇張して訴えたわけです。
ユダヤ人たちの訴えは、群衆と当局者たちを動揺させました(8節)。当局者たちは危険なパウロたちを町に長居させないようにと、ヤソンらキリスト者たちから保証金を取りました(9節)。これによってキリスト者たちは、パウロ一行をテサロニケ市内で匿わずに退去させる義務を負わされてしまいました。彼らはやむなく、パウロ一行を次の町へと送り出しました(10節)。
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こうしてテサロニケのキリスト者たちは当局から危険な集団として目を付けられるようになりました。しかし彼らはその後もキリスト教信仰を貫きました。言い換えれば、イエス様を王と頂き、イエス様に従い、仕え続けたのです(参考 テサロニケの信徒への手紙一1:3、4:1)。
彼らは、「皇帝の勅令に背いて」イエス様にお仕えしたのではありません。パウロの教えによれば、イエス様の命令に従って、社会の秩序に沿った、落ち着いた生活を送ることが勧められていました(一テサ1:11-12)。イエス様を王とすることは、国家権力に敵対することとイコールではありません。国家権力がイエス様に敵対しない限り、平時は、社会の秩序に沿って落ち着いた生活を送ることと、イエス様を王とすることとの間には、矛盾はありません。なぜなら、イエス様は、主の民が平安な人生を送れるようにと治めてくださる王だからです。イエス様という王は、そのために、自らを犠牲にして苦しみ抜いた王です(イザヤ書53:4-5)。他の王、また国家権力は、その権力の危機には国民を犠牲にさえします。イエス様は、国民を犠牲にすることなく、御自身を犠牲にして救う、究極の王であられます。テサロニケのキリスト者たちは、迫害下でも、このお方を王と頂き、この方の国民であることの平安が与えられたのです。そしてそれゆえに、彼らは犠牲を払ってくださった王、イエス様を慕い、感謝をささげ、仕え続けたのです。
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教会に集う私たちもまた、礼拝、奉仕、献金という具体的な行動をもって、イエス様を王とできる恩恵に与る者たちです。平日もまた、一人の市民として社会に生きながら、イエス様にお仕えしています。それぞれに、日々の営みの中で、具体的に実行なさってきた「イエス様の民だからこその振る舞い」があるでしょう。そのようにして、イエス様からの恵みによって、私たちの代わりに犠牲を払ってくださった王、イエス様にお仕えできたとき、私たちは「イエス様にお仕えしてよかった」との喜びを覚えつつ、イエス様の平安の中に生きられます。これからも私たちは、イエス様を王と頂き続けて、喜びの信仰生活を送ります。
(牧師 伊藤築志)
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