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  • 日本キリスト改革派 田無教会

2021年10月24日「神時間と人間時間」主日礼拝

  • 聖書箇所:ペトロの手紙二3章8-14節

 

 この世の中は実に忙しい。効率主義のためであろうか。すべては儲けにつながっている。実際、現在の日本を見れば資本主義経済が効率を追い求めて躍動しており、それらに私たちも巻き込まれていることを知っている。今日のテキストは「時は早めるためにあるのではなく、見極めるためにある」と言う。我々の欲望はすぐ手に入れなければ満足しない。慎重に必要かどうかを考える時間すら与えず、考える時間がなくなっている。少しの考えさせてもらえる時間も与えられない。 

 オリンピックは紀元前780年から紀元後380年まで400年間続けられた。1500年の時を経て1896年オリンピックは復活する。フランスのクーベルタン伯爵の提案である。その時からオリンピックの標語は「より早く、より高く、より強く」がモットーとなった。「より早く」は当然スピード主義につながっていく。「より高く」「より強く」はすべて効率主義や競争主義の原理であり、元祖である。ルネッサンスから始まった、人間賛歌、人間の可能性を求めすぎた結果の集約がその基にあるということは注意しておかねばならないだろう。

 はたして創造主なる神は、どのように世界を維持されようとしたのだろうか。神の御計画でいきなりすべてを造られたのではない。6日間かけた創造も時間のかかるものだが、さらにその創造の後に第7の日の安息という実に深い祝福の時を設けられている。その神の時間はペトロによると03:08愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。とある。

 さらに、03:09ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。と言っている。

 偉いのかを時々争っていた。平和を造り出すためには、あらゆる競争を留めねばならない。人の思うところは常に罪深く、神から離れているからだ。これがまた私たち罪人の実態でもあり、常に欲望を満足しようとする罪の結果であるということだ。

 たとえば、世の中は週休2日制を採っていた。それが少し前から週休3日制へと移行している。さらに昨今は週休4日も検討されているそうだ。週休日が増えたとき、人々は憩い精神的に豊かになったであろうか。否、却って疲れたそうだ。たまの長期休暇は必要であろうが、結局週休1日が、一番バイオリズムが整うようだ。

 神の民イスラエルは奴隷の地エジプトから解放されたのに、昔の状態の方が良いと言って、指導者モーセに逆らい神に反抗していた状況と似ている。私たちもまた他の人と競って資本や能力を誇示し、嘘や不正な手段を用いてでも人より出世したり良い生活をしたいという悲しい性を持っている。常に悪に傾きやすいことに注意したい。

 詩編90編は神の時間について教えている。主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。2山々が生まれる前から大地が、人の世が、生み出される前から世々とこしえに、あなたは神。3あなたは人を塵に返し「人の子よ、帰れ」と仰せになります。4千年といえども御目には昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。5あなたは眠りの中に人を漂わせ朝が来れば、人は草のように移ろいます。6朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい夕べにはしおれ、枯れて行きます。7あなたの怒りにわたしたちは絶え入りあなたの憤りに恐れます。8あなたはわたしたちの罪を御前に隠れた罪を御顔の光の中に置かれます。9わたしたちの生涯は御怒りに消え去り人生はため息のように消えうせます。10人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。11御怒りの力を誰が知りえましょうか。あなたを畏れ敬うにつれてあなたの憤りをも知ることでしょう。12生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。

 創造者は時をも創造されたのだ。ゆえに、当然時間をも支配される。ある詩人は神の救いの時間的経緯の中で見事に賛美している。<初めに人は誘惑にノート言えた。しかし罪に陥ってから、ノーと言えなくなった。キリストの御降誕により再びノーと言えるようになった。しかし罪から解放された訳ではない。しかし主に在って、永遠の命に入った時に完全に罪から解放された。>この神に私たちは導かれている。この方を信じて従うこと、これこそ神に栄光を帰することなのだ。

 預言者イザヤは言う。イザヤ66:22「わたしの造る新しい天と新しい地がわたしの前に永く続くように。あなたたちの子孫とあなたたちの名も永く続くと主は言われる。」この時の「永く続く」とは、時間を造られた永遠の神が保証する永遠でなくてなんであろうか。神と共にある命は永遠なのだ。その永遠の命を与えるために、創造主が忍耐さえ、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと待っていてくださる。いつの日かやがて私たちの人生だけでなく、この地上すら失せてなくなる。しかし、すべてのものは滅び去っても神の愛は偽ることなく、永遠の時間の中で愛し続けてくださる。神の永遠の時の中において、生ける真の神の忍耐に心から縋りついて行きたい。


田無教会牧師 中山仰牧師

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