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2025年2月23日「天に積む富」主日礼拝

日本キリスト改革派 田無教会
  • 聖書箇所:マタイによる福音書9:19-21

  • 伊藤築志牧師

19「あなたがたは地上に富(=宝物)を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。 20富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 21あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」

 

きょうは、イエス様による、大切な呼び掛け・命令の話をします。

20年ほど前のクレジットカードのCMに、「お金で買えない価値がある。買える物は○○カードで」というキャッチフレーズがありました。例えば、息子と初めての魚釣りに行くにあたり、たくさんの道具を買い揃えた父親。父親にはそれなりの出費がありましたが、「息子と魚釣りを楽しむ」という、お金に換えられない経験を得ます。「お金で買えない、極上の宝物」。それを手に入れるための出費に、クレジットカードが役立ちますよ、という秀逸なCMです。

しかし、その宝物は時間と共にいずれ薄れていくことでしょう。次の年くらいになると、また新しい宝物を手に入れるために、クレジットカードを使わずにはいられなくなるのだと思います。

そのCMが示す宝物は、イエス様が言うところの「地上に富を積む」ことと通じるところがあります。イエス様がおっしゃるには、地上では、宝物は「虫が食ったり、さび付いたり(=損なわれる)するし、盗まれたりする」のです。銀行の貸金庫からだって、金塊が盗まれたりするのです!

実に、地上の色々なものは、「いずれは損なわれ/奪われていく」ものです。私たちの人生において絶対に安全なものは、この地上にはありません。そのような地上のあれこれを「大切な宝物」として後生大事に抱えていることは、宝物の所有者の意に反して空しいことです。ここで「富(名詞)を積む(動詞)」と訳された言葉は、マタイによる福音書原文のギリシア語直訳では、「大切な宝(名詞)を、自分のための大切な宝とする(動詞)」と読めます。人の思い次第で、何でも、宝物になり得ます。ゴミ屋敷の主人にとって、ゴミは宝物です。貧乏な経験をバネに成功した人にとっては、「貧乏な経験」が宝物になります。しかしそれらも、いずれ、損なわれます。イエス様は、どんなものでも、地上のものを宝物にしなさるなと、教えておられるのです。

しかしその教えは、「宝物なんてもつもんじゃない」という否定的なものではありません。イエス様が続けて言われたことに注目しましょう。「富は、天に積みなさい」。なぜなら天(=天国)で蓄えた宝物は、決して損なわれず、盗まれないからです。究極の貸金庫が天にあるなら、私たちも地上ではなく天国に、宝物を蓄えるようにしたいものです。

天国で蓄える宝物は、「自分のための宝物」です。ですから「宝を、天に蓄える」とは、「天国のものを、自分のための・自分の大切な宝物とする」ということになります。

ところで、私たちは誰も、天国へ行って天国の貸金庫口座を開いたことがありません。自分で天のものを手に入れてそれを宝物とすることもできません。天国の貸金庫の手続きや、天のものを手に入れてくれる代行業者がいなければ、「富を、天に積む」ことはできません。

その代行業者こそ、イエス様です。イエス様が代行してくださったので「絶対に損なわれないものを、わたし名義で、わたしの宝物として蓄えることができる」のです。教会は、「イエス様商事」の出張所です。教会に来た一人一人は、イエス様を通じて開いていただいた天の貸金庫に大切な宝物を蓄え、天に蓄えられた自分の宝物を確認することができます。

では、天の貸金庫に預ける「宝物」とは、どんなものなのでしょうか。その宝物とは、いつまでも残る「(信仰的な)確信」(ヘブライ人への手紙10:34-35)や、誰にも取り上げられない「(イエス様の話を聞く)心の平安」(ルカによる福音書10:41-42)です。

まとめ:私たちが地上で生きている間に開くことができない、天国の貸金庫口座を、イエス様が代行して開いてくださいました。私たちは天の貸金庫の中に、絶対に損なわれず、誰にも奪えないものを、自分の宝物として蓄えることができます。そして地上に居ながらにして蓄える「宝物」は、聖書に基づく信仰的確信や、イエス様を信じることによる心の平安です。

21節。もし地上のものを「わたしの宝物!」と言って後生大事に抱えているなら、その心は地上にある、ということになります。他方で、天国に「わたしの宝物がある!」と信じて心の平安を得ているなら、その心は天に・神様の方に向いています。イエス様は、私たちの心を天に向け、神様の方に向けるべきことを、「富は、天に積みなさい」という言葉で教えておられます。

聖書によれば、人間は神様との愛に生きる者として造られました。だから、私たちが神様から目をそらし、地上のものを宝物としてその心を地上に向けておくのは健全ではありません。天におられる神様への信仰を宝物として心を天に・神様に向けて生きるなら、最も心地よく、平安に生きられます。誰もが神様への信仰を、天の貸金庫に大切な宝物として蓄えるべきです。イエス様は、信仰を宝物とすることの必要性を宣伝しておられます。その信仰は、損なわれず、誰にも奪われることはありません。たとえ死の時にも、心の平安が揺さぶられることはありません。

ですからどうぞ、きょうお聴きになったイエス様の呼び掛け「富は、天に積みなさい」という宣伝文句を、聞き流さずに、大切にしていただきたいです。

既に信仰を得て、天の貸金庫に宝物を蓄えている方は、「私の宝が、天に蓄えられている」という確信を捨てないでください。地上にあるものを第一の宝として、心を地上に縛り付けないでください。イエス様を信じる限り、天に蓄えた宝物への確信を捨ててしまうことはありません。

信仰のことはよく分からないという方も、きょうのイエス様の言葉を心に留めてください。もし興味が湧いたら、これからも続けて、聖書の話に耳を傾けて、心の平安を得てください。その時、イエス様が開いた天の貸金庫に、あなたの宝物が少しずつ蓄えられます。

(牧師 伊藤築志)

 

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