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2025年3月2日「秩序と平和の源、キリスト」主日礼拝

日本キリスト改革派 田無教会
  • 聖書箇所:使徒言行録16章16-24節

  • 伊藤築志牧師


使徒パウロ率いる宣教チームには、イエス様の霊(聖霊)が共におられました。彼らが召し出されたフィリピの町では、リディアという婦人がイエス様に心開かれ、信仰を得ました。彼女は宣教チームを自宅に招待しもてなすことで、自身の信仰を表しました。宣教チームのフィリピでの活動は、今しばらく続きます。きょうの説教でも、宣教チームと共におられた聖霊のお働きに注目してみましょう。

フィリピは、「ローマの植民都市」(12節)です。ローマの市民権を持つ人たちが大手を振って歩き、ローマの法律に従ってその秩序が守られている、そんな町です。

そんな町で、宣教チームの面々は、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会いました(16節)。悪霊の力によって彼女が何か言うと、聞いた人たちはそれを神々の託宣かのように有難がってお金を払います。そのお金は、彼女を奴隷として所有していた主人たちの利益となっていました。彼女は、悪霊と主人たちとによって自由を奪われ、自分自身を見失っていました。

悪霊は女奴隷に、宣教チームについて「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えている」と叫ばせました(17節)。この事でパウロは困り果てました(18節)。その理由はいくつかあります。 ①誤解を招くから。女奴隷が叫んだ言葉は間違ってはいませんが、「キリストによる救い」とは明言していないので、占い女からこれを聞いたフィリピ市民はこの「救い」をキリストによる救いとは理解しないでしょう。 ②悪霊による、イエス様へのお世辞だから。悪霊はイエス様に勝てないことを知っているので、保身のためにお世辞を言うのです。

そういうわけで、困り果てたパウロは、「イエス・キリストの名によって」女奴隷から出て行くようにと悪霊に命じました。パウロはイエス様の御名を利用したのではありません。この時本当に、聖霊がパウロと共におられ、お働きになって、悪霊を撃退なさったのです。

彼女は悪霊の支配から解放されました。自分を取り戻し、(御言葉に明言はありませんが)恐らくや聖霊によって癒され、永遠の慰めと平安を得たのだろうと考えられます。

彼女を霊媒の女奴隷としてこき使っていた主人たちは、この事で喜ぶどころかかえって憤り、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ引き立てて行きました(19節)。主人たちによる彼女の支配は、愛に基づかず、金儲けの欲に基づく支配でしかなかったのです。

主人たちは二人を公に訴えるとき、自分たちの逸失利益のことは一切触れずに、「町の混乱の原因」、秩序を破壊する敵だ、と訴えました(20-21節)。この訴えは、群衆の、ローマ市民としての誇りをうまくくすぐり、支持を得ました。彼らは論点を、町全体の利益の話に巧妙にすり替えたのです。冷静に考えてみると、主人たちは、フィリピの宗教的混乱に乗じて利益を得ていたのでした。どの口が「ローマ帝国市民の秩序」について語っているのでしょうか。彼らこそ、秩序が破壊され混乱したフィリピの町の有様から甘い汁を吸っていたのです。

さらに、役人たち・高官たちの対応も無秩序きわまりないものです。群衆の熱狂に乗じて、彼らは二人を正式な裁判にかけることなく、二人がローマ市民権を持つ者かどうかの確認すらせず〔彼らはローマ市民権を持っていました。37節〕、鞭打ったのです(22節)。これは不法行為です。彼らは、法律に従うより、群衆の感情を利用して、二人を有罪に仕立て上げたのでありました。どこに、誇り高いローマ市民の植民都市であるフィリピの秩序があるでしょうか?

今回の事件の発端は、パウロたちの女奴隷との出会い、また彼女から悪霊を追い出したことにありました。パウロが辛抱していれば、彼らは鞭打ち・投獄の憂き目に遭わなかったはずです。獄中で二人は足枷をはめられ、身動きが取れず、人間の尊厳を大きく傷つけられました。

鞭打ち、不当な裁判、縛り付けられる苦痛。このような仕打ちを、十字架にかけられたイエス様もお受けになりました。イエス様は、エルサレム当局の無秩序・混乱の支配の中に落ち、苦しみ、死に至りました。しかしそれは、主の民を罪の支配(無秩序)から解放するためでした。女奴隷から悪霊を追い出したのも、悪霊と主人たちとの支配によって混乱していた女性を解放するためでした。きょうの御言葉を読むと、自らを犠牲にしてまでも、主の民を無秩序から救うイエス様のお姿が浮かび上がって来るようです。私たちが信仰を得、罪の支配から離れて歩んでいられるのも、イエス様の十字架の苦しみがあったからこそです。

今もなお、世界は混乱しています。法的・宗教的に混乱していて、平和がないというのが、現代社会の現状なのではないでしょうか。

この不法・無秩序・混乱から私たちを救ってくださるお方こそ、イエス・キリストです。イエス様は、自らを犠牲にして、私たちの代わりに、不法・無秩序・混乱の中で苦しみを受けてくださいました。私たちは、イエス様の犠牲の上に、復活のイエス様の霊と共にいる秩序と平和を享受しているのです。実に、イエス・キリストの福音は、この世に混乱を招く類のものではありません。パウロとイエス様の働きは、フィリピの町に混乱をもたらしたのではありませんでした。むしろイエス様の福音は、この世を無秩序と混乱から救い、混乱の中で自分を見失っていた、あの女奴隷のような人を解放するのです。                        

(牧師 伊藤築志) 


 

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