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2025年3月23日「大地震の夜、キリストと出会う」主日礼拝

  • 執筆者の写真: 日本キリスト改革派 田無教会
    日本キリスト改革派 田無教会
  • 3月23日
  • 読了時間: 5分

更新日:3月27日

  • 聖書箇所:使徒言行録16章25-34節

  • 伊藤築志牧師




25 真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。 26 突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。 27 目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。 28 パウロは大声で叫んだ。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」 29 看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、 30 二人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」 31 二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」 32 そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。 33 まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。 34 この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。

 

大地震によって、体だけでなく人生全体が揺さぶられ、不安に陥ることがあります。きょうは、地震直後の混乱と不安の中で、イエス様の話を聞いて冷静さを取り戻し、喜びにあふれた人物 ―フィリピの看守― をご紹介します。

地震の前日、フィリピの町ではとある騒動が生じ、キリスト教の宣教者パウロとシラスがその騒動の原因だとして鞭(むち)を打たれた上で収監されていました。二人は真夜中ごろ、傷の痛みに耐え、足枷に縛られる苦痛を覚えながら、うめき声や恨み節を漏らすのでなく、賛美の歌をうたって神に祈っていました。牢内に響きわたる力強い歌声に、他の囚人たちも聞き入っていました。光の差さない牢屋の奥底でも、キリストをたたえる歌声が響きわたり、その声を聞いた人々が安らぎを得る、ということが、あるのです。

そのとき看守は、仮眠をとっていたのだと思われます。牢の土台を揺るがす大地震が起きると、目覚めた看守は牢の戸や鎖が外れているのを見て慌てふためき、牢の中をろくに確認もしないで「囚人が脱獄した」と思い込み、自殺を図りました。彼は集団脱獄の責任を取らされ処刑される不名誉よりも、自らの手で片を付けることを選んだのです。

そのとき、看守に冷静さを取り戻させる叫び声が獄内から聞こえました。「自害してはいけない。わたしたちは御名ここにいる」。パウロの叫び声です。この声によって看守は冷静さを取り戻し、事態を把握し、自害の必要はないと理解しました。

看守は、大地震によって心身ともに大いに揺り動かされました。彼の魂は、直ぐに命を絶とうと決意するほど揺れ動いたのです。しかし彼自身の自害の決意は決して固いものではなく、パウロの一声で消えてしまうほど、浅く薄い決意にすぎませんでした。

自害を取りやめた看守は、震えながら、パウロとシラスの前にひれ伏し、尋ねます。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」。彼は、大地震で身も魂も揺さぶられる自らの不安定さに気づかされたのでしょう。同時に、大地震にも動じずにいるパウロとシラスの姿勢に感銘を受けたのでしょう。「ご師匠様、あなた方のようになるためにはどんな修行をすべきでしょうか?」

二人は答えます。「主イエスを信じなさい」。修業は要らない。ただ主イエス〔の上に〕信じなさい。主イエスに人生を任せ、土台となさい…。イエスという人物を人生の土台とするためには、イエスについてよく知らねばなりません。そこでパウロとシラスは、看守とその家族に主イエスの言葉を語り、主イエスを紹介しました。「主」という言葉はギリシア語で「先生/師匠」と同じ単語です。「我々を師匠と呼ぶな。唯一の救い主イエスを師匠と信じて、人生の土台となさい。」

看守は家族と共に主の言葉を聞くと、その晩のうちに洗礼〔イエスの弟子となること(参考マタイ28:19-30)〕を受けました。そして彼は二人を招いて自宅で即席の宴会を開き、イエス様を人生の土台とし、もう揺り動かされないという安心感による喜びを表しました。看守の、イエス様を人生の土台とする決心は先の自害の決心とは違い、生涯に亘る、深く固い決心でした。

看守が囚人パウロとシラスを自宅に招いたことは、職務放棄と思われるかもしれませんが、それはそんなに問題にならなかったようです。翌朝、二人は何事もなかったかのように獄中に戻りました(参考35節以下)。とにかくこの看守は、大地震の夜にイエス様の言葉を聞き、イエス様と出会うことを通して、何事にも揺るがない人生の土台を据え、静まりと安らぎと喜びとを、生涯の宝物として手に入れたのでありました。

地上にあるものはすべて、いずれ揺り動かされ、消えていきます。地上に、決して揺るがない、人生の土台とできるものはありません。ただ一つ、私たちの人生の土台として大丈夫な存在。それが、主イエス・キリストです。イエス様を人生の土台とするなら、地震で体が揺れても、人生は揺るぎません。

イエス様は、地震で揺れ動かないだけではありません。人生のどんな場面においても、動じないでいられる安心を与えてくださいます。地震の直前(25節)。光が届かない牢屋の奥底。体の節々が鞭打たれた傷で痛み、足枷に縛り付けられた苦痛のただ中。生きるも死ぬも当局者たちの匙加減。人生が風前の灯火のよう。そんな状況下でも、パウロとシラスは揺り動かされず、希望に満ちた歌声が響きました。囚人たちは慰めを受けました。実にイエス様は、人生のどんな暗闇にも共にいてくださり、励ましてくださる、救い主です。たとえ「あなた」が人生のどん底にいても、イエス様と出会い、励ましを受けることができます。教会ではイエス様の言葉がいつも語られます。この話を続けて聞けば、きっと、イエス様が信頼できる土台であると信じられる日が来ることでしょう。救われるために、「主イエスを信じなさい。」

(牧師 伊藤築志)

 
 
 

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